ひとり負け
編集のキャリアを始めたばかりのころ、この道に誘ってくれた恩人に香港に行こうと誘われた。忙中閑ありという言葉通りに、目まぐるしく忙しい最中。前日の入稿を終え、タクシーが捕まる深夜2時ごろまで編集部近くのバーで一杯やって帰宅する。時はバブル。契約先のタクシー会社の無線連絡室への電話は深夜2時ごろまでまったく繋がらない。
連日の徹夜とその夜の深酒が影響したのか、電話で叩き起こされる。携帯電話が発売される前の固定電話時代の話だ。午前8時の成田集合時間になってもぼくが現れないのでその恩人から確認の電話だった。やっべ。すぐ行きますと電話を切り、旅の支度を始める始末。そこでハタとパスポートの不備に気づいた。詳しくは省くが役所に行って手続きの必要性があった。
役所は大手町。業務開始はたぶん9時。一番に手続きしても朝10時の成田発の飛行機には間に合いそうもない。しかしやれるだけのことはやってみようとタクシーを呼んで役所まで。
早朝なので道は空いていて8時半ごろに到着。あたり前だが窓口には誰もいない。しかしすぐに一人の職員の方が出勤してきた。事情を説明したところ、この方がものすごくいい方で業務開始前なのに対応してくれた。8時50分。事情を知っているタクシーのおじさんは、おれは点数がないから無理だけど代わりに飛ばし屋を呼んでおくからといって次のクルマを紹介してくれた。そこからはマッハのスピードで9時35分成田着。なんとか間に合った。25分前でも飛行機に乗れるという今から考えるといろんなことが適当で牧歌的だったなあ。
初めての香港は、それは美味しかった。特に潮州料理。広東料理の属するものでシンプルであっさりした味付けが日本人によく合う。陰陽のマークを模したスープが一種の名物。ただ茹でただけのエビのぷりぷりさもいい。
活気のある飲茶店のクオリティの高さやおかゆに揚げパンを入れて食べるのを初めて知った。

九龍の尖沙咀(チムサーチョイ)にある<Shek kee wan ton noodles>のワンタンメン。およそ1000円。
そしてなんと言っても安かった。街中が大バーゲン。そもそもフリーポートの香港には関税がない。もちろん消費税も。80年代の香港は日本人OLが週末ちょこっとでかけてグルメと買い物を楽しむもっとも身近な海外だった。韓国の民主化は87年。いまの韓国からは考えられないくらい文化的なギャップがあった。
先日、向こうの会社の人と打ち合わせがあり、およそ25年ぶりに香港へ行った。ミシュランの星付きレストランは想像していたほどではなかった。東京のレベルがちょっと異常だからかもしれない。イタリアでピザを食べてももはや感動はないのと同じだ。
ローカルが集うお粥やワンタンメンなどは美味しかったが、値段が暴騰していた。昔200円とか300円で食べれたものがいまでは1000円近い。気がつくと香港の物価は東京とさほど変わらないどころか、ところによっては高くなっている。いつの間にこうなったんだろう。
この先、東南アジアの国々でもこういうことが起こりそうだ。日本のひとり負け。これがニューノーマルになるのか少しは日本も勢いを取り戻すのか、いろいろ考えさせられる旅であった。
ここだけの話、冒頭の香港旅行であるが、一緒に行くはずだった元B誌の副編集長も飛行機に乗り遅れて一日遅れでやってきた。恩人はどいつもこいつもと呆れてました。
株式会社ライノ 代表取締役