万博
大阪で行われている万博の閉幕まであと少し。結局ぼくは行けずじまい。行った人から聞くのは良い評判ばかり。しかし時期を失してしまった。
1970年に行われた万博は朧げに記憶がある。動く歩道をはじめて見たのはこの時だ。アメリカ館など人気パビリオンは行列がすごかったので我が家族は並ばず、あまり人気のないところばかり入った。行き当たりばったりの旅。旅館も予約せず、大きなたぬきの置物が玄関に置いてある廊下が傾いている旅館にむりやり交渉して泊まったのを覚えている。
この万博で子供たちが良いも悪いもいろんな思い出を作られれば、開催の意義はあると思う。どうやら目標の入場者数にも達したらしいし、大成功といっていい。

先日、日経新聞でコシノジュンコさんのインタビューがあった。先と今回の2つの万博でユニフォームをデザインしたそうだ。70年の万博では3つのパビリオンのデザインを依頼された。この時彼女は20代。依頼者は建築家の黒川紀章さん、作曲家の一柳慧さん、そして堺屋太一さん。彼らもみんな30代だった。
役所ではこんな「若い人に頼んでいいのか」と問題になったらしいが、はじめての万博、経験のない人たちばかりだったので若い人にもチャンスが回ってきたんだろうということだ。
なんだか時代のダイナミズムみたいなものを感じる。というか失敗など考えず、とにかく前に進ませようというエネルギーというか。
現代、このような大きな仕事を依頼するとしたら20代の若手に仕事を依頼することなんてないだろう。ご承知と思うが、2020東京オリンピック(2021年開催だったけど)の公式ユニフォームはAOKIが担当。聖火ランナーのユニフォームに尾花大輔さんが選ばれたのはちょっと嬉しかったが、彼だって実績も経験のあるデザイナー。将来性を買って、さらなる若手を起用しようなんて挑戦(冒険?)はない。
70年当時はいまのようにデザイナーやブランド、メーカーという先輩たちで渋滞してない。だから思い切った起用ができたのかもしれない。
こう考えるといまの日本の縮図のように思える。上が詰まってるから下が登れない。まるでハイシーズンの富士山登山のような構図だ。
あらゆる業界でこうした現象が起こっているような気がする。
ちょうど自民党の総裁選がもうすぐだ。これ以上言わなくても何がいいたいかわかるでしょう。ここだけの話、とりたてて彼を支持しているわけではないのだが。
自戒も込めて、年をそれなりに取った人たちはすこし身を引いて後進に道を譲ったほうがいい。

株式会社ライノ 代表取締役